競馬サインとは?

注意 これからお話しする内容は、あくまでも『私がそう思っている』という事であり、他の方の考えを否定するものではございません。 ましてや『これが真実』などというおこがましい考えは持っておりませんので、そのつもりでお読みください。 JRAの出す競馬サインとは? 『サイン読み』の歴史は大変古く、データという武器によって競馬が解析されつつある現代において、なおも生き続ける、根強い人気を誇る予想法です。 生き続ける理由についてすべてをここでは語りきれませんが、理由のひとつは『サイン読みという予想法をJRAが保護している』ということだと思います。 レーシングダイアリーとはいったい何のために存在するのでしょう? グリーンチャンネル(中央競馬専門チャンネル=事実上のJRA運営のTV)の出演者が「ポスターにサインがあった!」などと口にするのはなぜでしょうか? フジTVの競馬中継で「雪が降ったから幸(みゆき)だったのかー!」などと臆面もなく言い放つのはなぜでしょうか? 私には『競馬の楽しみ方のひとつに、サイン解読という方法があるよー』と宣伝しているとしか思えません。 なぜJRAはそんなことをするのでしょう? ひと昔前、競馬は賭博でした。 競馬場は鉄火場であり、胡散臭いオヤジどもが闊歩していました。 そこには八百長の匂いがプンプンし、実際にそのようなことが行なわれていたフシがあります。 しかし時代は変わりました。 競馬はクリーンなイメージを獲得し、競馬場はまるでアミューズメントパーク。 若者や女性が増え、競馬人口は増加。 今や競馬は完全に市民権を得ました。 JRAがことあるごとに口にするセリフ『公正競馬』。 そこにはかつての『胡散臭さ』は絶対にあってはならないはずなのです。 『賭け事の主催者が、勝ち馬を暗号で誰かに知らせている』 これは胡散臭くありませんか? 胡散臭いどころではありませんね。 もしこれが事実だとしたら、そしてその『証拠』を掴まれたら、大変なことになります。 なぜなら『競馬は国営ギャンブル』だからです。 国が(事実上)行なっているギャンブルに『イカサマ』があり、それを行なっているのが他ならぬ主催者(=国)だということが証明されてしまっては、国家の威信に関わる大問題に発展するでしょう。 ならば、JRAはサイン解読などという胡散臭い予想法を否定するべきではないでしょうか? 公正競馬をアピールするためにも『そんなものはありません』と喧伝すべきでは? いえ、声高に叫んだのでは逆効果になるおそれがありますね。 かえって騒ぎが起きてしまいかねません。 JRAはレーシングダイアリーを廃止し、グリーンチャンネルなどでは『サイン』という言葉を使わせなければいいのです。 競馬マスコミにも圧力をかけて、『サイン』という文字を徐々にこの世から消していくだけでいいのです。 人間というものは単純にできています。 こうすれば数年でサイン派は激減することでしょう。 しかし現実にはまったく逆のことが起きています。 JRAはサイン読みという予想法を保護しています。 なぜか? それはサインというものが、特定の誰かを儲けさせるために秘密裏に出されている怪しげな陰謀などではなく、単なるファンサービスだからです。 こういったサービスをすることにより、サイン派という種族が生き残ることが、JRAにとって重要なのです。 ひとつでも多くの楽しみ方を提供することが、競馬人口の増加に繋がるからです。 (減少を食い止めるといったほうが正確かもしれません) 売り上げの減少、競馬人口の減少が、JRAの抱える大問題であることは周知の事実ですね。 サイン競馬派を存続させることは、企業としてのJRAにとって重要なことなのです。 だからJRAは『サイン』を止めないのです。 サイン競馬の考え方のひとつに『サインは特定の誰かを儲けさせるために出されている』という説がありますね。 しかし、サインが『特定の誰か』に向けての暗号だと仮定した場合、大変な問題が発生します。 【暗号の受け取り手には100%確実に伝わり、かつ他の人間には絶対に解読されないこと】 誰かを儲けさせることが目的ならば、上記条件を満たさないものは、暗号として使えません。 目的が目的なので、確実に伝わらないと意味を成さないでしょう。 受け取り手の感性次第でどうとでもとれるような曖昧なものは、本当の暗号にはなりえないのです。 そして、他の者に証拠を掴まれたら国家的な大問題に発展するということは前述したとおりです。 レーシングダイアリーやポスターに暗示的に織り込まれた程度のサインで、この条件を満たせるでしょうか? 不可能です。 『特定の誰かに向けてのサイン』が存在するかしないかは私には分かりません。 しかし、もしあったとしても、それはダイアリーやポスターなどの刊行物ではないでしょう。 これは暗号の歴史や現代の高度化された暗号システムを知れば分ることなのですが、ダイアリーやポスターを使うという手法は『他者に解読されない暗号』という観点でみると、1000年前の暗号にも劣るのです。 番組構成や出馬表の組み方を暗号として使うという方法も同様です。 いえ、これらの方法はダイアリー・ポスター以上に危険といえます。 なぜなら『どんなに技巧をこらしても、パターンを持つ時点で、その暗号は必ず解読される運命にある』からです。 詳しくは書きませんが、興味のある方へ2冊の文庫本を紹介します。 右サイドバーの『おすすめの逸品』をご覧ください。 『我々がサイン解読と呼んでいるものは、一部の人間を儲けさせるために作られた暗号を横からかすめ取って解読する行為ではない』 『サインは不特定多数が解読することを前提に出されたJRAのファンサービスのひとつにすぎない』 私はそのように思います。 そして、この前提に立つとき、答えが見えてきます。 『解読されることを前提としたものである以上、解読されたからといってレースを操作して結果を変えるなどということはありえない』 当然こうなりますね。 しかもサインの寿命が短いことは、サイン解読家ならば誰もが知っている常識です。 というよりも『サインのパターンは短命でなければならない』のです。 同じパターンを長く続けるということは、そこにサインがあるということを証明してしまうことだからです。 かといってまったくパターンがないという状態にすることはできません。 なぜなら、サイン解読家の楽しみは『サインを読み解く』という行為そのものであり、その手がかりは『パターンを発見すること』だからです。 『ユーザー(サイン解読家)を楽しませないのでは、サインを出す意味そのものがない』ですよね。 だからシリーズサインがあるのです。 ある一定の期間通用する(サインだと誰もが認識するよりも短い)パターンがあるのです。 ということは、 JRAの監視の目を気にする必要など最初からない ということです。 だからといって、JRAが監視していないと言っているわけではありません。 むしろその逆です。 JRAは目を光らせています。 『JRAはサインがどのように市場(サイン派)に受け入れられているか調査する必要がある』からです。 一般の企業のこととして考えてみてください。 売り上げ確保のための企画が、どのような結果をだしているのかを調べるのは、企業として当然です。 それをしない企業は市場のニーズから取り残されてしまうからです。 JRAも同じです。 サイン解読関連のサイトや書籍などのチェックは当然行なっていると考えられます。 (もちろん、血統や各種指数などのサイト・書籍も同様です) 『サインとは、レースに勝つ(馬券になる)可能性をJRAが暗示しているだけ』だと私は考えています。 可能性があるからといって、必ず勝つ(馬券になる)わけではないのです。 そこには八百長もなければ、誰かを儲けさせるという陰謀もありません。 展開や馬場の悪化、有利不利によってレース結果は変わります。 『想定されるいくつかの結果のうち確率の高いものをサインとしている』のだと私は考えます。 つまり JRAによる単なる予想です。 主催者が予想行為をしてはまずいのでは?という心配もありますね。 JRAのHPを見てください。 『今週の注目レース』は形を変えた予想行為なのではありませんか? なおかつサインは公式なものではなく、あくまでも『あるかもしれない』という曖昧なものです。 さすがに特定の馬の名前を出して『これが本命』と言ってしまうのはまずいですが、暗示するだけ(しかも暗示していることは公式には認めていない)ですから、なんら問題はありません。 しかし『今週の注目レース』とサインの決定的な違いは、その正確性にあります。 『注目レース』はただのデータ分析予想にすぎません。 サインは違います。 JRAは、考えられうるすべての予想ファクターを手中にしているはずです。 賭け事の胴元であり、日本国の巨大な税収機関でもあるのですから、あって当然です。 というよりも、馬の出走や枠順を自分で決められるのですから、そういう意味で『仕組む』ことは可能です。 そうして出来上がったのがサインです。 先ほど私はサインを、『JRAによる単なる予想』と言いましたが、JRA自体は(世間にウヨウヨしている)単なる予想家ではないのです。 JRAはこの世でいちばん精度の高い予想家なのです。 だからこそ、サインを読み解くという行為は、他のどんな予想方法にも引けをとらない競馬予想であると私は考えます。 そうはいっても、その解読が困難であり、なかなか的中に至らないことが大問題ですが・・・。 しかし逆に言うと、サイン解読が困難であればあるほど、競馬から離れられなくなっている自分がいることは確かです。 その点では、JRAの『サイン競馬派保護作戦』は功を奏しているといえるでしょう。 注意 繰り返しますが、ここに書かれたことは私の個人的な見解であり、他の方の考えを否定するものではありません。